「わからない」ものの扱い

http://watch.impress.co.jp/game%2Fdocs/20050313/gdc_kd.htm

 しかしこの斬新な企画は、当初誰にも目をつけられることなかったという。初めての企画が「塊魂」のようなオリジナリティの強い作品であれば、そう簡単に賛同を得られないことは容易に想像できる。そんな時に高橋氏は、ナムコとCG専門学校が協力して運営していたCGデザイナー育成学校で、ゲーム制作の授業に使う企画を探していることを耳にする。そこへ「塊魂」を持ち込み、十数人の生徒に巻き込むものを作ってもらい、プログラミングやマップ制作などはナムコが担当するという形で試作したという。学生を巻き込んでのプロジェクトだったことは割と知られているが、それが試作のために必然だったというのは意外な話だ。

 上記は、去年のGDC高橋慶太氏が講演した内容からの引用なのですが、これを補足するような記述を、今月のCONTINUE誌*1を読んでいて見付けました。

企画書を書いたんですけど、最初は「紙の上ではわからないし、こんなものをつくっている余裕はない」って言われて蹴られたんですよ。

 説明下手やら理解力不足やら、「わからない」理由にも色々とあるなかで、プロ同士が話し合った上で「わからない」と真に言えるものは、それだけで作ってみる価値があると思います。
 が、それはあくまで研究対象としての価値であって、開発に繋がるのかまで「わからない」ものに手を出す余裕が無いと答えたのは、非常に現実的な判断*2なのかもしれません。
 だからこそ、価値観*3や時間の流れの違う場所に企画を委ねた選択もまた現実的であり、きちんと補完関係が成立した、これはこれで立派な産学連携なのではないか…と。

*1:vol.28の125ページ。

*2:良し悪しについては棚上げ。試作というフェイズは存在しても、試されるのは企画でなく製作チームなケースが多いんだよねえ。

*3:大学のように研究機関としての側面もあれば更に良いのですが、生の試行錯誤を体験できるのは、単に教材としても優秀でしょう。