ゲーム開発を車にたとえると

http://blogs.dion.ne.jp/arere/archives/1272774.html

この比喩で気に入っているのは、カーナビ(ディレクター)が目的地設定を間違えていたり、または目的地は正しくともルート設定に失敗した時は、車があらぬ方向に行ってしまうという、まさにゲーム開発の実態そのものまで表現できているからです。この比喩をもっと続けるなら、ディレクターがどんなに的確なナビゲーションをしても、プログラマーのスキルが低いとひどい運転になってしまいますし、場合によっては交通事故が発生します(笑)。アーティストのスキルが低ければ、車のエンジンやサスペンションの調子が悪いいうことですから、目的地に着くのに難儀することでしょう。そして一番大事なのは、もしもナビゲーションの指示が間違っていても、プログラマーが自主的にそれを無視して正しいルートで運転すれば、結果的に目的地に着くことができる(良いゲームが完成する)ということも示していることです。

 対話に用いれる時間は無限ではない*1という点も、言い得ていますね。
 たとえば通常のルートでは間に合わないと予想される場合、ナビゲーターは限られた時間でショートカットを発見し、ドライバーの力量で通行可能かを(相手と相談しつつ)見極める必要が出てきます。そのためイージーな部分はあえて説明を省き、ドライバーに任せてしまうことも時に必要になるのでは…と。
 まあ、轍の無い道を進む状況なんて殆ど無いのも事実なんですが、道を知っているドライバーがフェイルセーフ以上の役割を果たすケースも、稀ながら存在すると思います*2

*1:ドライバーとナビゲーター双方にとって、です。「ミーティング多すぎで実作業が進まない」状況は、指示の不足以上に不幸なこともあるでしょう。

*2:そんな危機的状況でゲームを作り続けること自体、前時代的なのは否定しません。