短編ゲーム*2という縛り
塊魂の発売前、体験版をプレイして以下のように感じました。
- 見た目上のスケールアップはあっても、やる事はあまり変化しないのではないか。
- ただマップが広くなられても、途方に暮れるだけなのではないか。
- 極端にスケールの違うオブジェクトを共存させようとすると、物理モデルが破綻するのではないか。
そして1ステージ10分程度が適正なプレイ時間で、追加要素のバリエーションや対戦も含めて価格分楽しませる、連作短編的な構成に製品版はなるのだろう…と、勝手に思っていたのですが、
- 塊が大きくなるにつれ、ドットイートから慣性系アクションへとプレイ感覚が変化してゆく。
- 先行する面でマップを小出ししたり、コーンで行き先を区切ったり、ちゃんとプレイヤーを誘導している。
- 王様の相手をしている間に、こっそりシーンを差し替えている。
購入してみて杞憂だったと気付きました。想像していたようなステージ(星座と対戦)も存在したのですが、最後は25分もの長丁場を原点の要素(ただ大きな塊を作れ)だけで乗り切らせるとは全くの予想外です。長編へと一歩踏み出し、今後への足掛かりが出来たと思って間違いないでしょう。
…と、そんなわけで結論は何かといえば、可能性を見誤らないためにも「短編向き」と「長編に不向き」は似て非であることに注意ってことですかね*1。たとえばマリオが固定画面に安住してたら、スーパーマリオは誕生しなかったわけで。
*1:いや、塊話が時期を逃したから一般論として締めようとしているわけではないですよ。信じてくださいてば。